透析を受けていた日の父…8年間の透析治療

父の透析治療ヒストリー

私の父が透析を受けていました。神戸の経営コンサルに努めていた父は当時50歳になったばかりの働き盛り。私は武蔵小杉駅前にある岡野歯科医院に就職したばかりで実家を離れ就職した会社の寮で暮らしていました。私が就職して間もなく父の透析が始まりました。当初は週に2回の透析治療だった様で父の送り迎えは妹が担当し、文京区新大塚の歯医者であった店の留守は母が守る…という生活だったはずです。私はというと実家から離れて暮らしていたために何も手伝うことができずもどかしい日々を過ごしていました。就職したばかりの会社を辞めて実家にかるべきか…悩んだこともありました。ともかく時間があるときにはなるべく実家に帰るようにはしていました。そして私が帰った時、父は透析治療の日であることがほとんどでした。

透析治療の負担

透析治療というのは体に相当な負担がかかるようで、透析治療から帰った父は帰宅するとそのまま寝室に行き休んでしまいます。ですから私が実家に帰省しても父の姿を一目も見ることもなく、「じゃぁ帰るよー」「おう、気をつけて帰れよ」などと会話だけのことも一度だけではなかったと思います。そんな父も約8年間の透析治療の末になくなり、私も退職し実家に戻り家業を次ぐことになりました。そして今、家族や近所の方々からその時の父の様子をよく聞きます。「あんたんちおやじさんはさぁ、体の調子が悪くてもちゃんと会合にもくるし、そのあとの飲み会にも来るんだよ…だけど水の一杯すら飲まなかったんだよ。この1杯を飲んだら俺は明日死ぬかもしれないから…っていってね」父は透析治療に通いながら食べ物や飲み物の制限をきちんと守り少しでも長生きしようと頑張っていたのだと思います。